阪神監督56年史


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村山阪神 2年目

1971

5

57 64 9

やばい...

村山実(34)

最終順位

5

57 64 9

*順位は月末のもの

チーム成績

打率 HR 防率 盗塁 失策
.220 101 2.76 68 95
選手名 打率 HR
1 藤井栄治 (31) .230 0 15
2 安藤統夫 (32) .123 1 5
3 藤田平 (24) .272 28 61
4 遠井吾郎 (32) .224 6 29
5 カークランド (37) .219 14 27
6 和田徹 (26) .188 0 6
7 後藤和昭 (27) .237 4 11
8 辻恭彦 (29) .193 8 27
選手名 防率
9 江夏豊 (23) 2.39 15 14

*数字は1971年シーズンの成績

村山阪神の2年目シーズン。

巨人の連覇阻止を目指す阪神だったが、頭部死球から復活した田淵がシーズンを前に急性腎炎を発症。江夏豊は心臓病に苦しみ、村山実兼任監督は胆のう炎に。

投打の主力が離脱した影響は大きく、一時、最下位に転落することもあった。

唯一の明るいニュースは江夏の大記録達成だった。

オールスター前のインタビューで「全部、三振にとったる」と宣言したとおり、見事9者連続奪三振を成し遂げたのだ。前年のオールスターでの5者連続奪三振、第3戦の1奪三振を加え、オールスター3試合にまたがりトータル15連続奪三振という偉業だった。

江夏のオールスター15者連続三振
1971年 5連続三振
1972年 9連続三振
1972年 1奪三振

ちなみに奪三振の連続記録を止めたのは南海の野村克也。

野村は極端にバットを短く持ち、チョコンとボールに当てセカンドゴロ。何とか三振を回避した。野村の異様な構えに気づいた江夏は笑いをかみ殺しながら投げたという。

その情けない打ち方について野村は「とにかくパリーグの打者として何としてでも連続三振を止めたかった」とコメントした。

そんな伝説のオールスターが明け、後半戦がスタート。

村山阪神は首位を追いかけるどころか、Bクラスすら脱出できず。シーズン終了まで延々と低空飛行が続いた。

歴代最低となるチーム打率.220、1試合平均得点が2.6点ではまともに戦えるはずもなく、5位でシーズンを終えた。


関連ページ

村山実が監督

  • 1970 2
    77勝 49敗 4分
  • 1971 5
    57勝 64敗 9分
  • 1972 2
    71勝 56敗 3分
  • 1988 6
    51勝 77敗 2分
  • 1989 5
    54勝 75敗 1分

村山実のページ

  • むらやまみのる

    村山実

    兵庫県尼崎市

    1970/08/13


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