4位
57勝 64敗 9分
びぃクラスや
金田正泰(53)
4位
57勝 64敗 9分
*順位は月末のもの
打率 | HR | 防率 | 盗塁 | 失策 |
.237 | 136 | 3.45 | 41 | 88 |
順 | 位 | 選手名 | 齢 | 打率 | HR | 点 |
1 | 右 | テーラー | (29) | .278 | 12 | 38 |
2 | 左 | 望月充 | (26) | .231 | 9 | 32 |
3 | 遊 | 藤田平 | (27) | .302 | 16 | 47 |
4 | 捕 | 田淵幸一 | (28) | .278 | 45 | 95 |
5 | 一 | 遠井吾郎 | (35) | .260 | 14 | 53 |
6 | 中 | 池田祥浩 | (28) | .251 | 6 | 42 |
7 | 三 | 後藤和昭 | (30) | .250 | 9 | 33 |
8 | 二 | 野田征稔 | (33) | .227 | 0 | 0 |
順 | 位 | 選手名 | 齢 | 防率 | 勝 | 敗 |
9 | 投 | 江夏豊 | (26) | 2.73 | 12 | 14 |
*数字は1974年シーズンの成績
第2次金田阪神の2年目シーズン。
チーム内は金田監督とエース江夏豊との確執が大問題に。
「江夏がいるならば指揮はとれない」とする金田監督に対し、「あの監督の下ではやっていけない」の江夏。どちらも折れることはなく、修復不可能に思われた二人の関係だったが、何とか問題は鎮火しシーズン開幕を迎えた。
ただ、今度は江夏とコーチとの確執が発覚。主力選手との不仲も話題となるなど、江夏を中心とした問題は広がり続けた。そして2年連続20勝を記録した球界を代表する大投手は次第に孤立していった。
そんなゴタゴタのチームは藤田平の故障から一気に失速。後半戦で首位から転落してからは浮上することはなく、4位でシーズンを終了。金田監督は退任となった。
明るい材料は、この後、阪神を背負っていく選手となる掛布雅之が入団したことか。
ドラフト6位(1位は佐野仙好)と期待は低かったがオープン戦で18打数8安打と結果を残し、高卒ルーキーながら開幕から一軍に定着した。レギュラーとしての活躍は2年目以降となるが、ルーキーイヤーからその存在感を見せつけることとなる。
京都府京都市
1970/08/11