阪神監督56年史


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吉田阪神 1年目

1975

3

68 55 7

ま、しゃあない

吉田義男(41)

最終順位

3

68 55 7

*順位は月末のもの

チーム成績

打率 HR 防率 盗塁 失策
.252 128 3.34 31 76
選手名 打率 HR
1 中村勝広 (26) .280 16 43
2 テーラー (30) .265 11 48
3 藤田平 (28) .290 9 56
4 田淵幸一 (29) .303 43 90
5 アルトマン (42) .274 12 57
6 池辺巌 (31) .260 3 28
7 望月充 (27) .214 4 12
8 佐野仙好 (24) .201 6 16
選手名 防率
9 江夏豊 (27) 3.07 12 12

*数字は1975年シーズンの成績

吉田阪神の1年目シーズン。

1969年の引退発表時には多くの球団から打診があったが「阪神以外のユニホームを着る気にはなれない」と断り引退。そんな往年の名ショート吉田義男が再び縦縞に袖を通した。背番号は監督としては異例の「1」を背負った。(この番号は阪神の歴代監督では最も若い背番号となっている。)

この年からユニフォームを一新。袖とズボンにギザギザのライン(輝流ライン)が入ったデザインとなった。これはファンの間で「新選組ユニフォーム」と呼ばれ人気となった。

就任時に「走るチームにします」とコメントした吉田監督だったが、シーズンを通して31盗塁と全く走らず。これ以降も吉田監督の元では盗塁は少なく、打のチームとなることが多かった。

阪神監督ランキング「盗塁数ワースト10」

このシーズンは田淵幸一が初の本塁打王を獲得。チームを牽引した。藤田平と両外国人を加えた攻撃力を武器に戦ったが順位は3位。たが、貯金13と成績は悪いものではなかった。

なお、シーズン後半からは2年目の掛布雅之がサードに定着。当初は、右投手の時は掛布、左投手の時は佐野仙好という起用法だったのだが、一枝修平コーチの「サードは掛布で固定しましよう」というアドバイスを監督が聞き入れ、佐野をレフトにコンバートした。結果、二人ともにレギュラーとして長らく活躍することとなった。


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吉田義男が監督

  • 1975 3
    68勝 55敗 7分
  • 1976 2
    72勝 45敗 13分
  • 1977 4
    55勝 63敗 12分
  • 1985 1
    74勝 49敗 7分
  • 1986 3
    60勝 60敗 10分
  • 1987 6
    41勝 83敗 6分
  • 1997 5
    62勝 73敗 1分
  • 1998 6
    52勝 83敗 0分

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