阪神監督56年史


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2後藤阪神 1年目

1978

6

41 80 9

べったや...

後藤次男(54)

最終順位

6

41 80 9

*順位は月末のもの

チーム成績

打率 HR 防率 盗塁 失策
.254 139 4.79 54 88
選手名 打率 HR
1 中村勝広 (29) .250 11 30
2 池辺巌 (34) .228 1 18
3 掛布雅之 (23) .318 32 102
4 田淵幸一 (32) .288 38 89
5 藤田平 (31) .301 13 58
6 池田純一 (32) .159 0 3
7 佐野仙好 (27) .226 8 34
8 島野育夫 (34) .190 3 16
選手名 防率
9 江本孟紀 (31) 3.10 11 13

*数字は1978年シーズンの成績

第2次後藤阪神の1年目シーズン。

Bクラス転落の責任を取って吉田義男が辞任、後藤次男が9年ぶりに監督復帰した。キャッチフレーズは「みんな仲良くボチボチと」、スローガンは「お祭り野球」とコメントし、そのお気楽さが話題となった。

なお、この年、日本球界初のチアリーディングチームが結成された。

そんな後藤阪神1年目は開幕からラインバックとブリーデンの両助っ人外国人が故障。掛布雅之、田淵幸一、佐野仙好、榊原良行が死球でリタイアし、打撃陣が崩壊。

投手陣は抑えのエースだった山本和行の先発希望を受け入れたことで抑えが不在となり崩壊。「全員リリーフ、全員先発」という無計画すぎる起用方針で現場は大混乱。最下位が指定席となった。

9月以降は掛布雅之が田淵幸一に代わり四番に座り30本塁打の大台に乗せた。だが、これ以外に何一つ明るい材料はない酷いシーズンで、二リーグ制となった1950年以降、初の最下位に沈んだ。成績は41勝80敗9分の借金39だった。

責任を取り後藤監督は辞任。初のチアリーディングチームも「縁起が悪い」と1年で解散となった。(2014年に「タイガースガールズ」として復活する。)

2時にトレードを告げられた田淵
シーズン終了後、翌年から阪神を指揮するブレイザーの構想に、長年チームの中心として活躍してきた田淵幸一が入っていないことが判明。若手中心のチームへ切り替えるため、田淵は西武との交換トレードに出されることとなった。

深夜にいきなりホテルに呼び出され、トレードを告げられた田淵は激昂。通路に控える記者にまでその怒号が響いたという。

その後、会見で田淵は「ボロボロになってもタイガースで骨を埋めたかった。そのために10年前に大阪に来たのに」と号泣した。

*阪神西武の交換トレード
阪神→西武 田淵幸一、古沢憲司
西武→阪神 真弓明信、若菜嘉晴、竹之内雅史、竹田和史

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後藤次男が監督

  • 1978 6
    41勝 80敗 9分

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