阪神監督56年史


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ブレイザー阪神 2年目

1980

5

54 66 10

やばい...

ブレイザー(48)

最終順位

5

54 66 10

*順位は月末のもの

チーム成績

打率 HR 防率 盗塁 失策
.262 134 3.73 87 95
選手名 打率 HR
1 真弓明信 (27) .285 29 74
2 加藤博一 (29) .314 7 21
3 ヒルトン (29) .197 0 4
4 掛布雅之 (25) .229 11 37
5 ラインバック (30) .284 15 44
6 佐野仙好 (29) .268 15 58
7 竹之内雅史 (35) .233 12 47
8 若菜嘉晴 (27) .256 4 32
選手名 防率
9 小林繁 (28) 3.02 15 14

*数字は1980年シーズンの成績

ブレイザー阪神の2年目シーズン。

前年オフのドラフトで早稲田大学から岡田彰布が入団。大型新人に注目が集まる中、シーズンが開幕した。

ところがブレイザー監督は岡田を起用せず、ヤクルトから獲得した助っ人ヒルトンを使い続けた。そして岡田を先発では使わないことを明言。「メジャーではルーキーをいきなり起用しない」とコメントを発表した。

岡田は使わない発言からの炎上
この行動には岡田の出場を待ち望んでいた阪神ファンが激怒。連日スタンドからは「ブレイザー辞めろ!」の野次が飛び、ヒルトンが打席に向かうと岡田コールが巻き起こった。

岡田効果で大幅な動員増を見込んでいたフロントも岡田起用を迫り始め、これに呼応するかのように、各スポーツ紙も一斉にブレイザー批判を開始。青い目の監督は全方向からのバッシングを受けることとなった。

さらに暴走したファンの行動はどんどんエスカレート。脅迫電話で球団事務所の電話のベルは鳴り続けた。選手や首脳陣にもその影響は及び、岡田の代わりに起用されていたヒルトンが乗っていた車が蹴られる事件が発生。ブレイザー監督の自宅には連日カミソリ入りの手紙が送りつけられた。

ブレイザー監督の妻は日々の嫌がらせでノイローゼに。

「こんな野蛮な国は嫌だ」

と精神をやられてしまった。

そして5月15日、家族の身を案じたブレイザー監督は会見を行い、退団を発表した。

ブレイザー監督による岡田の起用法については、新人選手を大事にした丁寧なものでバッシングされる要素は一切なかったと話す関係者もいる。「ブレイザー=悪」という図式が植えつけられ、それに煽られたファンたちが暴走した一面があったのかもしれない。

なお、この騒動後、ヘッドコーチだった中西太が監督へ昇格。岡田はスタメンで起用され続け、見事新人王を獲得した。


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ブレイザーが監督

  • 1979 4
    61勝 60敗 9分
  • 1980 5
    54勝 66敗 10分

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