阪神監督56年史


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安藤阪神 1年目

1982

3

65 57 8

ま、しゃあない

安藤統男(42)

最終順位

3

65 57 8

*順位は月末のもの

チーム成績

打率 HR 防率 盗塁 失策
.262 118 3.44 103 71
選手名 打率 HR
1 真弓明信 (29) .293 15 55
2 アレン (29) .260 3 16
3 岡田彰布 (25) .300 14 69
4 掛布雅之 (27) .325 35 95
5 佐野仙好 (31) .271 15 65
6 藤田平 (35) .290 7 40
7 ラム (25) .083 0 1
8 若菜嘉晴 (29) .213 3 21
選手名 防率
9 小林繁 (30) 3.42 11 9

*数字は1982年シーズンの成績

安藤阪神の1年目シーズン。

この年は横浜スタジアムの「阪神対大洋(現DeNA)」で伝説となる乱闘事件が発生。選手同士の乱闘ではなく、阪神のコーチが審判に暴行したという前代未聞の出来事だった。

きっかけは藤田平が打ち上げた打球。これを三塁の石橋貢が落球した。そのボールがフェアゾーンに落ちたか、ファールゾーンに落ちたか。三塁塁審はファールの判定を下した。

これに対し阪神コーチ陣が即座にベンチを飛び出した。

一塁コーチの島野育夫は塁審を捕まえるなり、いきなりパンチ。球審の岡田功は即座に退場を宣告した。

それを見たバッテリーコーチの柴田猛が激昂。岡田球審の股間を思いっきり蹴り上げた。

その後も2人のコーチの怒りが収まらず、審判を引き倒し、殴る蹴るの暴行。暴れ回った。

選手のほぼ全員が加わった大乱闘に対し、この試合の責任審判だった岡田球審は「暴力団とは野球はできない ! 」と声を荒げ、審判団を引き上げさせた。

没収試合が協議されたが、島野、柴田両コーチの退場で再開。試合は阪神が3対1で勝利した。

なお、この暴行により、岡田球審は全治2週間、鷲谷塁審は1週間の怪我を負った。神奈川県は試合後、傷害事件として捜査を開始。横浜地検は二人を傷害罪で略式起訴した。

阪神球団からの処分は「10日間活動禁止」と信じられないほどの軽いものだったが、事態を重く見たセントラル・リーグは両コーチに無期限の出場停止処分を下した。


関連ページ

安藤統男が監督

  • 1982 3
    65勝 57敗 8分
  • 1983 4
    62勝 63敗 5分
  • 1984 4
    53勝 69敗 8分

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