阪神監督56年史


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2吉田阪神 2年目

1986

3

60 60 10

ま、しゃあない

吉田義男(52)

最終順位

3

60 60 10

*順位は月末のもの

チーム成績

打率 HR 防率 盗塁 失策
.271 184 3.69 49 89
選手名 打率 HR
1 真弓明信 (33) .307 28 60
2 吉竹春樹 (25) .236 6 24
3 バース (32) .389 47 109
4 掛布雅之 (31) .252 9 34
5 岡田彰布 (29) .268 26 70
6 佐野仙好 (35) .268 14 35
7 平田勝男 (27) .267 5 33
8 木戸克彦 (25) .227 5 23
選手名 防率
9 池田親興 (27) 3.18 4 4

*数字は1986年シーズンの成績

第2次吉田阪神の2年目シーズン。

球団初となる日本一を達成し連覇に挑む吉田阪神だったが、開幕13試合目に掛布雅之が死球により左手首を骨折。シーズン序盤から主砲抜きでの戦いを余儀なくされた。

掛布は5月中旬に復帰するが、今度はイレギュラーした打球を右肩に受け負傷。その後も左親指骨折するなど、シーズン中に3度の大ケガを負った。

満身創痍となった掛布はまともにシーズンを送ることができず、11年連続で記録していた二桁本塁打が途絶えた。

掛布の代わりとなる4番は岡田とバースが務め、シーズンを戦った。岡田は前年より数字を落としたが、バースは打率.389、OPS1.258と驚異的な数字を残し二年連続三冠王を獲得。チームを引っ張った。

ただ、やはり主砲が抜けた穴は大きく、リーグ連覇はできず。3位でシーズンを終えた。

なお、阪神のウイークポイントだった投手陣は、数年間4点台だったチーム防御率が3点台に改善。3年目の仲田幸司がローテーションの中心に成長し、同期の中西清起も前年に続きリリーフとして存在感を見せるなど、投手陣の若返りが目立つシーズンとなった。


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  • 1975 3
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  • 1976 2
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  • 1977 4
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  • 1985 1
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  • 1986 3
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