阪神監督56年史


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2吉田阪神 3年目

1987

6

41 83 6

べったや...

吉田義男(53)

最終順位

6

41 83 6

*順位は月末のもの

チーム成績

打率 HR 防率 盗塁 失策
.242 140 4.36 40 78
選手名 打率 HR
1 真弓明信 (34) .270 23 53
2 田尾安志 (33) .221 6 12
3 バース (33) .320 37 79
4 掛布雅之 (32) .227 12 45
5 岡田彰布 (30) .255 14 58
6 柏原純一 (35) .176 1 5
7 平田勝男 (28) .261 3 21
8 木戸克彦 (26) .238 6 18
選手名 防率
9 キーオ (32) 3.80 11 14

*数字は1987年シーズンの成績

第2次吉田阪神の3年目シーズン。

シーズン前の3月22日。阪神の顔であったミスタータイガースこと掛布雅之が飲酒運転で現行犯逮捕された。お昼のNHKニュースでも報じられたこの出来事に球界は騒然となった。

結婚披露宴の帰り道、愛車のフェラーリで名神高速をご機嫌に爆走していたところを検問にひっかかり逮捕されたというもの。

この掛布の行為に対し、阪神電鉄オーナーの久万は激怒。「掛布は欠陥商品だ」と切り捨て、「掛布には絶対にタイガースのユニホームは着させない」と宣言。事態を重く見たセリーグの川島会長も「スター選手の事件は裏切り行為だ」と異例の厳重注意処分を球団と本人に行った。

そんな掛布逮捕から5日後の3月27日。今度はランディ・バースがスピード違反により検挙された。

グラウンド外での騒動でチームが揺れる中、シーズンが開幕。開幕投手は新外国人のマット・キーオがマウンドに上がった。

打線はトレードにより西武から獲得した田尾安志を2番に起用。田尾は結果を出せずシーズン終盤には北村照文、大野久が起用された。

阪神西武との交換トレード
西武→阪神 田尾安志(33)
阪神→西武 吉竹春樹(26)前田耕司(23)

投手陣はチーム防御率が再び4点台と悪化。カバーしてきた打撃陣もチーム打率は2割台前半に急降下。前半戦をわずか19勝で終えた。その後もチームは上向くことはなく、吉田阪神はシーズンを通して41勝しかできなかった。

借金42、勝率.331と歴代最低に終った責任を取り、吉田監督は辞任した。

貯金数ランキング ワースト10

なお、このシーズンから阪神はBクラスを彷徨い続ける、いわゆる「暗黒時代」に突入した。

暗黒時代
阪神が大低迷を続けた1987年から2002年までのこと。甲子園はガラガラ、関西人は誰一人笑わなくなり、飲み屋で阪神のことを話すと「気分悪なるから阪神の話すんな!」と知らないおっちゃんが絡んできた地獄のような時代。

1987年 6位
1988年 6位
1989年 5位
1990年 6位
1991年 6位
1992年 2位
1993年 4位
1994年 4位
1995年 6位
1996年 6位
1997年 5位
1998年 6位
1999年 6位
2000年 6位
2001年 6位
2002年 4位
2003年 1位

*1991年から2001年の11年間は開幕戦11連敗。

関連ページ

吉田義男が監督

  • 1975 3
    68勝 55敗 7分
  • 1976 2
    72勝 45敗 13分
  • 1977 4
    55勝 63敗 12分
  • 1985 1
    74勝 49敗 7分
  • 1986 3
    60勝 60敗 10分
  • 1987 6
    41勝 83敗 6分
  • 1997 5
    62勝 73敗 1分
  • 1998 6
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