6位
51勝 77敗 2分
べったや...
村山実(51)
6位
51勝 77敗 2分
*順位は月末のもの
打率 | HR | 防率 | 盗塁 | 失策 |
.248 | 82 | 3.82 | 69 | 72 |
順 | 位 | 選手名 | 齢 | 打率 | HR | 点 |
1 | 中 | 大野久 | (28) | .254 | 7 | 42 |
2 | 遊 | 和田豊 | (26) | .279 | 1 | 20 |
3 | 三 | 掛布雅之 | (33) | .250 | 5 | 32 |
4 | 一 | バース | (34) | .321 | 2 | 8 |
5 | 二 | 岡田彰布 | (31) | .267 | 23 | 72 |
6 | 右 | 真弓明信 | (35) | .270 | 17 | 67 |
7 | 左 | 中野佐資 | (25) | .237 | 4 | 25 |
8 | 捕 | 嶋田宗彦 | (26) | .125 | 0 | 2 |
順 | 位 | 選手名 | 齢 | 防率 | 勝 | 敗 |
9 | 投 | 仲田幸司 | (24) | 3.88 | 6 | 9 |
*数字は1988年シーズンの成績
第2次村山阪神の1年目シーズン。
最下位の責任を取り、吉田前監督が退任。村山新監督が就任した。1970年に33歳の若さで選手兼任監督となったが、今回は専業としての監督。2度目となる指揮に注目が集まった。
村山監督は前年から大きくスタメンを変更。真弓明信、田尾安志の1、2番のベテランコンビに代え、大野久、和田豊を起用。7番には中野佐資を起用した。大野、和田、中野の若手3人組はジャニーズのグループ名に重ね「*少年隊」と名づけられた。
また、長年にわたり4番を務めてきた掛布雅之を3番に。入れ替わる形でランディ・バースが4番に座った。ただ、34歳となった最強助っ人は村山監督の根性論に嫌気がさしており、裏で監督批判を行っていたことが一部週刊誌に報道され、微妙な空気が広がった。
期待のドラフト1ルーキー野田浩司は42試合に登板し規定投球回に到達した。ただ、3勝13敗と全く結果は残せなかった。
そんな1988年シーズンは前半戦がピークで、6月にはBクラスに転落。後半戦は最下位に定着し続ける近年の流れでシーズンを終えた。勝率は.398と前年を上回ったが、首位中日とは29.5ゲーム差。球団史上初の2年連続最下位に終った。
バース帰国、退団へ
1988年は淀んだ空気に覆われた1年だった。
5月にはバースの息子・ザクリー君が水頭症と判明し、野球どころではないと帰国、そのまま退団。田宮謙次郎ヘッドも村山監督と衝突し辞任。
7月には結果を出せず苦しんでいた掛布が登録抹消。その後、まともに出場することはなく引退。バース問題などで悩んだとされる球団代表・古谷真吾が自殺。
その後も、ずさんなバースとの保険契約や首脳陣間での確執が明らかになるなど、グラウンド外の揉め事が噴出した。こういった状況に純粋なファンは辟易したのか、最下位続きの状況にあきれたからか、翌年からの観客動員数が激減。100万人台に落ち込んでいった。