6位
48勝 82敗 0分
べったや...
中村勝広(41)
6位
48勝 82敗 0分
*順位は月末のもの
打率 | HR | 防率 | 盗塁 | 失策 |
.237 | 111 | 4.37 | 47 | 88 |
順 | 位 | 選手名 | 齢 | 打率 | HR | 点 |
1 | 左 | 高橋慶彦 | (34) | .206 | 0 | 2 |
2 | 遊 | 和田豊 | (29) | .298 | 0 | 34 |
3 | 一 | オマリー | (31) | .307 | 21 | 81 |
4 | 二 | 岡田彰布 | (34) | .240 | 15 | 50 |
5 | 中 | ウイン | (31) | .230 | 13 | 44 |
6 | 右 | 田尾安志 | (37) | .155 | 0 | 1 |
7 | 三 | 八木裕 | (26) | .250 | 22 | 64 |
8 | 捕 | 木戸克彦 | (30) | .227 | 5 | 24 |
順 | 位 | 選手名 | 齢 | 防率 | 勝 | 敗 |
9 | 投 | 野田浩司 | (23) | 3.81 | 8 | 14 |
*数字は1991年シーズンの成績
中村阪神の2年目シーズン。
トーマス・オマリーがやってきた!
貧打に苦しむ阪神はこの年も「バース2世」を求め新外国人を獲得した。
まず、ニューヨーク・メッツからトーマス・オマリーを獲得。メジャー球団を転々と渡り歩き、9年間でホームラン13本、打率.256。4000万円という契約額からも分かるように、前評判は非常に低い選手だった。
ところが日本の野球にフィットしたのか、シーズンを通し大活躍。フル試合に出場し、チーム内で最高打率、最多打点をあげ、貧打の阪神打線で一人気を吐いた。
その明るいキャラクターも人気で、ヘルメットを浅くかぶる独自のスタイルは阪神ファンの間で大流行となった。
なお、もう一人の新助っ人マーヴェル・ウインは年俸1億4000万円ながら活躍できず、1年で解雇された。
このシーズンは助っ人以外にも打撃陣を強化。1985年のドラ1遠山奬志をロッテに放出し、スイッチヒッターの高橋慶彦を獲得した。ただ、高橋は明らかにピークを過ぎており、目立った活躍はなくシーズンを終えた。(ロッテに行った遠山は1998年に再び阪神に戻り、翌年、野村監督の元で中継ぎとして大活躍する。)
投手陣は相変わらず悲惨な状況で、規定投球回数に到達したのは猪俣隆、野田浩司のわずか二人だけ。しかも、猪俣は9勝13敗。野田は8勝14敗と大幅に負け越した。ドラフト1位ルーキーの湯舟敏郎も1年目からローテーションに入ったものの5勝11敗と厳しい成績に終わった。
前半戦だけで5連敗、8連敗、10連敗、7連敗と、一球団だけ別次元のペナントレースを展開。48勝82敗の借金34、2年連続の圧倒的最下位に終わった。
阪神 VS. たけし軍団
このどうしようもない状況に、北野武が率いる「たけし軍団」にさえ負けると笑われた。そこでその言葉を覆すべくオフのファン感謝デーで軍団と対戦。軟式での試合だったが本当に敗れてしまい大恥をかいた。
奇跡の5試合連続完投
そんな絶望の1991年だったが、ペナントレース終盤にまぶし過ぎる光が甲子園に降り注いだ。中込伸、湯舟敏郎、野田浩司、猪俣隆、葛西稔のドラフト1位の投手5人が5試合連続で完投勝利をあげたのだ。この快挙には数年間冷えまくっていたライトスタンドが久しぶりに盛り上がった。
そしてついにボロボロだった投手王国が復活する。それは次のシーズンの話。