6位
46勝 84敗 0分
べったや...
中村勝広(45)
6位
46勝 84敗 0分
*順位は月末のもの
打率 | HR | 防率 | 盗塁 | 失策 |
.244 | 88 | 3.83 | 43 | 86 |
順 | 位 | 選手名 | 齢 | 打率 | HR | 点 |
1 | 二 | 和田豊 | (33) | .267 | 1 | 35 |
2 | 右 | 亀山努 | (26) | .185 | 0 | 2 |
3 | 三 | クールボー | (28) | .278 | 22 | 77 |
4 | 一 | グレン | (33) | .256 | 23 | 77 |
5 | 左 | 石嶺和彦 | (34) | .240 | 9 | 33 |
6 | 中 | 新庄剛志 | (23) | .225 | 7 | 37 |
7 | 捕 | 木戸克彦 | (34) | .176 | 0 | 6 |
9 | 遊 | 久慈照嘉 | (26) | .266 | 1 | 24 |
順 | 位 | 選手名 | 齢 | 防率 | 勝 | 敗 |
8 | 投 | 湯舟敏郎 | (29) | 3.96 | 5 | 13 |
*数字は1995年シーズンの成績
中村阪神の6年目シーズン。
1995年1月17日、阪神淡路大震災が発生。近畿の広域が大被害を受けた。甲子園球場のスタンドには大きな亀裂が入り、鳴尾浜では液状化現象が発生した。
被災した阪神関係者は多く、中村勝広監督は宝塚市の自宅が損壊、ホテルに避難し生活。真弓明信は直接の被害は受けなかったが、ライフラインが寸断されたため原付で甲子園に通うこと日々となった。また、村山実、藤田平の二人の前監督も避難生活を余儀なくされた。
震災の影響でプロ野球は一時開催が危ぶまれたが、春のセンバツ高校野球に続き、予定通り開幕した。
オマリー退団、グレン&クールボー
このシーズンの阪神は攻撃陣を一新。長打力不足を解消のため、4年連続3割をマークしたトーマス・オマリーを解雇し、代わりにグレン・デービス、スコット・クールボーの新外国人を獲得。両外国人をクリーンナップに加え、その後を石嶺和彦、新庄剛志ら長打の期待ができる打者を並べた。
期待された新打線は両助っ人が20本以上と数字を残したものの、その他の打者は不調に苦しんだ。このため、長打力不足は解消されるどころか、前年を下回るホームラン数に終った。
貧打に苦しむ中に亀山、新庄がシーズン途中で故障離脱。7月半ばには中村勝広監督がチーム不振を理由に休養を発表した。
二軍監督の藤田平が監督代行として指揮を振るったが状況は変わらず。わずか46勝、首位ヤクルトとは36ゲーム差の圧倒的最下位に終った。
なお、このシーズン終了後、真弓明信が現役を引退した。
足首を故障中の新庄に正座
そんなどうしようもない1995年には二軍で大きな事件が起こった。
鳴尾浜(二軍グラウンド)では、チーム全体にまん延していた遅刻癖に対し「遅れた時間、グランドに正座」という罰則が課されていた。そして、この日、足首を痛めていたため、別メニュー調整で遅れてきた新庄に藤田は正座を命じた。
遅刻をしたわけではないのに罰則。しかも足首に悪影響しかない正座。故障箇所をかばいながら足を崩して正座する新庄の写真がスポーツ紙一面に掲載され、大きな騒動となった。
後に、単純な連絡ミスが原因と分かったが、これ以降、藤田監督と新庄との関係は悪化していった。