阪神監督56年史


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安藤阪神 3年目

1984

4

53 69 8

びぃクラスや

安藤統男(44)

最終順位

4

53 69 8

*順位は月末のもの

チーム成績

打率 HR 防率 盗塁 失策
.264 165 4.46 71 93
選手名 打率 HR
1 吉竹春樹 (23) .260 6 27
2 弘田澄男 (35) .313 7 34
3 真弓明信 (31) .286 27 64
4 掛布雅之 (29) .269 37 95
5 バース (30) .326 27 73
6 佐野仙好 (33) .305 15 50
7 平田勝男 (25) .268 6 41
8 渡辺長助 (28) .138 0 1
選手名 防率
9 野村収 (38) 4.52 2 5

*数字は1984年シーズンの成績

安藤阪神の3年目シーズン。

強力打線は健在だったがシーズン序盤で岡田彰布が離脱。岡田の代わりに真弓明信がクリーンナップに入りチームを支えた。

投手陣は引退した小林繁の穴を埋めるため、前年オフのドラフトでは上位全てピッチャーを指名し立てて直しを図った。

ドラフト1位の中西清起は結果を残せなかったが、ドラフト2位の池田親興が1年目から躍動。チーム最多の投球回数を投げ、1年目から規定投球回にも到達。ローテーション入りを果たした。

*1983阪神ドラフト入団選手成績
1位 中西清起(22)1勝6敗
2位 池田親興(24)9勝8敗
3位 仲田幸司(19)ファーム生活
*()は年齢、その横は勝敗

また、中継ぎの福間納が77試合に登板するなど、前年に続きフル回転の活躍を見せた。(この77試合登板は当時のセ・リーグ記録)

ただ、シーズン中盤に中心投手に故障が相次ぎ、規定回数に到達した投手が2人。チーム防御率は4.46と立て直しを図ったはずの投手陣の成績は前年からさらに悪化した。

そんな1984年シーズンのペナントレースは4位に終ったが、9月時点で安藤監督の続投が発表されており、安藤阪神は4年目に突入。

するはずだったが*掛布、宇野問題により「こんな野球やっとれるかい」と急遽、自ら退任を発表した。

*掛布、宇野問題
シーズン終了間際、最多本塁打のタイトルを争っていた掛布雅之の阪神と宇野勝の中日が直接対決となった。多くの野球ファンの注目が集まる中、両チームは両選手を5打席連続敬遠。「押し出し敬遠」まで飛び出し、勝負無視の状況にファンが激怒。当時のセ・リーグ会長が声明を出す騒動となった。監督だった安藤は「こんな野球やっとれるかい」と退団した。

関連ページ

安藤統男が監督

  • 1982 3
    65勝 57敗 8分
  • 1983 4
    62勝 63敗 5分
  • 1984 4
    53勝 69敗 8分

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