2位
74勝 63敗 6分
もうちょいやった
岡田彰布(66)
2位
74勝 63敗 6分
*順位は月末のもの
打率 | HR | 防率 | 盗塁 | 失策 |
.242 | 67 | 2.50 | 41 | 85 |
順 | 位 | 選手名 | 齢 | 打率 | HR | 点 |
1 | 中 | 近本光司 | (29) | .285 | 6 | 45 |
2 | 二 | 中野拓夢 | (28) | .232 | 1 | 32 |
3 | 右 | 森下翔太 | (23) | .275 | 16 | 73 |
4 | 一 | 大山悠輔 | (29) | .259 | 14 | 68 |
5 | 三 | 佐藤輝明 | (24) | .268 | 16 | 70 |
6 | 左 | 前川右京 | (20) | .269 | 4 | 42 |
7 | 捕 | 坂本誠志郎 | (30) | .223 | 0 | 12 |
8 | 遊 | 木浪聖也 | (29) | .214 | 1 | 35 |
順 | 位 | 選手名 | 齢 | 防率 | 勝 | 敗 |
9 | 投 | 青柳晃洋 | (31) | 3.69 | 2 | 3 |
*数字は2024年シーズンの成績
第2次岡田阪神の2年目シーズン。
ボールが全然飛びません
チームのさらなる成長を確信した岡田監督はシーズンオフに大きな補強は行わなず、新戦力は、抑え候補のハビー・ゲラ、現役ドラフトの漆原大晟の投手二人だけとなった。
そして球団史上初となるリーグ連覇を目指すシーズンが開幕。「飛ばないボール*」に調子を崩す打者が続出した。
そんな飛ばないボールに阪神はどの球団よりも大苦戦。
開幕カードとなった巨人戦で2試合連続の完封負け。しかも「開幕から25イニング連続無得点」というセ・リーグワースト記録を達成してしまった。
その後も森下翔太、佐藤輝明、大山悠輔が次々と中心打者が二軍に落ち、チームは大混乱となった。
外野に球が飛ばないノイジー
前年の日本シリーズで2試合連続ホームランを放ち、2年目となる今シーズンの大化けが期待されたノイジーも大苦戦。化けるどころか外野にすら打球が飛ばない状況に陥った。
持ち味の「詰まりながらのポテンヒット」はただの内野フライに。元々、遅かった打球速度はさらに低下し、野球初心者に向けて打つノックのような緩やかな打球を連発、ゲッツーの山を築いた。
首位打者を狙うと宣言した中野拓夢は打率2割台前半と機能せず。
2人体制を敷いたキャッチャー梅野隆太郎、坂本誠志郎はともに打率1割台をキープ。他球団から申告敬遠ならぬ「申告アウト」と揶揄された。
気づけば、ほとんどの打者が不調という救いようのない状況となっていた。前年リーグ1位だった得点力はすっかり影を潜め、1試合あたりの平均得点は2点台前半に落ち込んだ。
もう少し点をとってほしい
そんな状況を12球団最強の投手陣がカバーした。「2点しか取れないなら1点で抑えればいい」と言わんばかりに先発、中継ぎ、抑えが大奮闘した。
特にエースの才木浩人は8度の連敗を止め「連敗ストッパー」として圧倒的な存在感を見せた。ヒーローインタビューでの「もう少し点をとってほしいですね」のコメントにはスタンドは大爆笑。ムードメーカーとしてもチームを牽引した。
毎日仕事の桐敷拓馬
中継ぎでは桐敷拓馬が獅子奮迅の活躍を見せた。「いっつも投げとるけど大丈夫か?」と心配になるほど、僅差となったゲームのマウンドには常に桐敷の姿があった。
それは投げまくりの中継ぎとして一世を風靡した1980年代の福間納、2000年代の久保田智之を彷彿させた。
登板過多が心配された阪神のJ.Boyは、シーズン終了時までバテることなく、防御率1.79、41ホールドポイントをマーク。見事、最優秀中継ぎのタイトルを獲得した。
投手陣の活躍に岡田監督もニッコリ。試合後のハイタッチでは、孫を見つめるおじいちゃんのような穏やかな笑顔で選手たちを迎えた。
荒れ狂う岡田監督
ただ、打撃陣は一向に上向かず、主軸が打率1割台と大スランプに苦しみ、スコアボードには毎日0の数字が並んだ。
そこで岡田監督は「スタメン固定」という自身の野球哲学を捨てオーダーを変更。全ての打順を入れ替えるという大幅な打線改造に出た。
これはリフレッシュの意味合いで1試合のみだったが、
「1番ショート木浪」
「2番キャッチャー梅野」
とスタメンが紹介された時には「岡田さん壊れてしもた?」と全阪神ファンがざわついた。
その後も打線のテコ入れは続き、1番に森下翔太、クリーンアップノイジー、4番原口文仁、と日替わりオーダーが続いた。
だが状況は一向に改善される兆しがなく、何をしてもうまくいかない岡田監督はついにキレてしまった。
逆転負けした試合後「もうええわ」と声を荒げて立ち去り、そのまま会見をボイコットした。
孫を見つめる穏やかな監督は、いつしか、全方向に怒りを向ける気難しい偏屈老将になっていた。
↓
荒れ狂う岡田監督、再び
いよいよ打つ手がなくなった岡田監督は、交流戦に入り最終手段ともいえる策に出た。
不振にあえぐ打線の中、唯一好調だった近本光司を4番に起用したのだ。
ちなみに以下はその日のスタメン。当時の厳しさが伝わってくるオーダーだ。
しかし、この秘策は最悪の結果となった。プロ初となる4番に座った近本までも不振に陥ってしまったのだ。
まさに泥沼状態。もう采配どころではなくなった岡田監督の苛立ちはピークに達し、あまりに不甲斐ない打線に再び怒りを爆発させた。
「どんなに工夫してもおまえら打ってくれへんやんか」と打順の決定を放棄。スタメンを選手とコーチに決めさせるという暴挙に出た。
この行動には驚かされたが、監督抜きで決まったスタメンがさらに衝撃だった。
監督が眠れぬ夜を数え、必死に生み出した起死回生の一手「4番近本」が、あっさりと元の1番に戻されていたのだ。つまり、コーチと選手は岡田スタメンを否定したわけだ。
岡田監督は裸の王様なのかもしれない。そう思わずにはいられない出来事だった。
岡田監督、阪神最多勝利監督に
苦しい戦いが続く中、7月6日に岡田監督は阪神監督歴代1位となる515勝を達成した。しかし苦しいチーム状況からか、その顔に笑顔はなく、坂本からのウイニングボールを静かに受け取るだけだった。
打線が復活、監督も復活
貧打に苦しみながらも何とか前半戦を貯金「1」の4位で折り返した岡田阪神。後半戦が始まると衝撃の展開が待っていた。
ついに、ついに、打線が復活したのだ。
前半戦のラストゲームで12得点を叩き出した勢いはオールスターを挟んでも止まらず。これまでの不振が嘘のように連日二桁安打をマークし7連勝。この間の1試合あたりの平均得点は6点と大爆発した。
これには黒目の部分が無くなっていた岡田監督の瞳にも光が灯った。
多くのスタメン選手の打率が2割台後半に持ち直し、チームは2位に浮上。首位広島を追走し始めた。
9月に入ると広島が5勝20敗と大失速したこともあり、連覇に向けてチームはさらに加速した。
試合後、「普通のことやったら勝てるんよ」と煙をくゆらせながら得意げに語る指揮官。その表情は、数週間前に人をあやめそうな雰囲気を漂わせていた同じ人間とは思えない、とても穏やかなものに変わっていた。
復調した打撃陣では特に森下が異次元の活躍を見せた。4試合連続ホームラン、10試合連続打点と誰も止められない状態に。そんな森下に引っ張られるように各選手も成績を上げ、消えかけていたリーグ連覇が現実味を帯びてきた。
そしてシーズン終盤。9月以降15勝8敗と首位巨人を猛追。しかし巨人も15勝9敗と好調をキープ。結局、差を縮めることはできず、3.5ゲーム差の2位でシーズンを終えた。
普通やったら梅野使わへん
最後の試合を終えた岡田監督は穏やかな笑顔で2年間を振り返るかと思われたが、連覇を逃した悔しさからか、以前のような険しい顔に戻っていた。
「信じられん」「もうええよ」「何でそんなの言わなあかんの」と不機嫌にまくし立て、「普通やったら梅野使わへん言うてるやん」と強烈な捨て台詞を残し、甲子園を後にした。
深刻だった体調不良
岡田監督は2年間で1位、2位と結果を残したが、シーズン終了後、体調不良を理由に退任が発表された。
後日、CS終了後に入院していたことを公表。当時はかなり深刻な状況で「死にかけた」と当時について明かした。体重は76kg→66kgと10キロ減っていたという。(ちなみに岡田監督の身長は175cm。)
年末のOB会総会で功労賞を受賞し、ふっくらした顔でご機嫌に挨拶をしており、復調しているもようで一安心。その後、出演したテレビ番組では体重が75kgに戻ったと話している。