阪神監督56年史


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藤田阪神 1年目

1996

6

54 76 0

べったや...

藤田平(48)

最終順位

6

54 76 0

*順位は月末のもの

チーム成績

打率 HR 防率 盗塁 失策
.245 89 4.12 45 77
選手名 打率 HR
1 新庄剛志 (24) .238 19 66
2 久慈照嘉 (27) .278 0 16
3 桧山進次郎 (27) .263 22 73
4 石嶺和彦 (35) .161 2 8
5 平塚克洋 (30) .254 11 47
6 クールボー (29) .210 2 16
7 和田豊 (34) .298 5 44
8 関川浩一 (27) .314 2 28
選手名 防率
9 藪恵壹 (28) 4.01 11 14

*数字は1996年シーズンの成績

藤田阪神の1年目シーズン。

前年、シーズン途中で監督代行を務めた藤田平が一軍監督に正式就任。会見では「鬼平犯科帳」になぞらえ自らを「鬼平になる」とコメント。最下位に終ったチームの立て直しを決意した。

新庄(23)が突如引退を発表
そんな藤田阪神だったが、その船出は大荒れだった。

何を思ったのか、シーズンオフに23歳の新庄剛志が引退を宣言したのだ。

何か大きな病気か。
正座で足首が悪化したのか。
タレントに転向か。

様々な憶測が走る中、急遽、緊急会見が開かれた。

報道陣を前にした新庄は「阪神とは契約したくない気持ちがある」「飲食店をやりたい」「メジャーに行きたい」と言いたい放題。「センスがないから野球をやめる」とコメントし、大きな話題を集めた。

その支離滅裂な言動には全野球ファンが困惑。さすがの藤田監督もおちょぼ口になっていた。

新庄(23)が突如引退を撤回
どうなるかと思われたこの騒動は意外な形で決着。

新庄が「父親が倒れた。野球する姿を見せるのが一番の薬」と引退を撤回したのだ。引退会見の二日後の出来事だった。

なお、新庄が引退を撤回し、現役続行を宣言した日、新庄の父は宴会で大騒ぎをしていたという新庄伝説ならぬ、新庄父伝説も残っている。

助っ人グレンが刑務所発言
新庄事件が解決したものの、今度は藤田監督と2年目の助っ人グレンが衝突。チーム内の雰囲気は最悪となった。

後にグレンは「阪神ベンチは刑務所のようだった!」と語っているように、両者の関係は深刻なものだった。

監督も大荒れ、まさかの解任拒否
首脳陣と選手の確執が溢れるチームでは上位進出などできるはずもなく、チーム内が大荒れとなった1996年シーズンは最下位に終った。

2年連続の最下位。観客動員は200万人を割り込み、球団は28年ぶりの赤字に転落した歴史的なシーズンだった。

シーズン終了後、フロントは監督の解任を発表。これに対し解任拒否という思わぬ行動に出た藤田監督。球団事務所に9時間半篭城した。話し合いは深夜2時まで続いたが結論は変わらぬままだった。


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    和歌山県和歌山市

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