6位
57勝 80敗 3分
べったや...
野村克也(65)
6位
57勝 80敗 3分
*順位は月末のもの
打率 | HR | 防率 | 盗塁 | 失策 |
.243 | 90 | 3.75 | 78 | 86 |
順 | 位 | 選手名 | 齢 | 打率 | HR | 点 |
1 | 左 | 平下晃司 | (23) | .255 | 1 | 1 |
2 | 中 | 上坂太一郎 | (24) | .253 | 6 | 24 |
3 | 右 | 坪井智哉 | (27) | .219 | 2 | 11 |
4 | 一 | クルーズ | (32) | .234 | 14 | 34 |
5 | 三 | ペレス | (31) | .222 | 3 | 19 |
6 | 捕 | 矢野燿大 | (33) | .242 | 8 | 30 |
7 | 二 | 今岡誠 | (27) | .268 | 4 | 40 |
8 | 遊 | 沖原佳典 | (29) | .197 | 4 | 14 |
順 | 位 | 選手名 | 齢 | 防率 | 勝 | 敗 |
9 | 投 | 星野伸之 | (35) | 4.60 | 1 | 2 |
*数字は2001年シーズンの成績
野村阪神の3年目シーズン。
F1セブン誕生
3年連続の最下位に終わった阪神。前年にクリーンナップを形成していた新庄剛志、大豊泰昭、トニー・タラスコの3人が抜け、戦力が大幅にダウン。まともな打線を組むこともままならない非常に厳しい状況に陥っていた。
そこで野村監督は「打てないなら走るしかない」と機動力を生かすチーム作りを宣言。7人の俊足選手を集め、「F1セブン」と名付け売り出した。
ただ実際のところ、7人で足をウリに出来る選手は赤星憲広ぐらいで、中には「遅くはない」レベルの選手も含まれていた。そのため、阪神ファンからは
「どこかF1やねん」
「ほとんど普通車やん」
「一人スーパーカブやん」
とネタにされた。
だが、新庄が抜けた後、当時の阪神には華のある選手がゼロという状況。話題不足に悩んでいた在阪マスコミはこの名ばかりのF1セブンをこぞって取り上げた。
そんなF1セブンの中で唯一の俊足、赤星が大ブレイク。開幕はスタメンを外れたが、3試合目以降ほぼ1年間レギュラーとして活躍し、盗塁王、新人王を獲得した。
井川慶というエース誕生
投手陣ではチェンジアップを覚えた4年目の井川慶が覚醒。投球回数192イニングで防御率2.67。打線の援護不足で9勝と惜しくも二桁には届かなかったが、待ちに待ったエースが誕生したシーズンだった。
なお、この後、6年間連続で二桁勝利をマークするなど阪神投手陣の柱として長らく君臨。特に2003年シーズンの活躍は圧巻で、20勝5敗で最多勝利、最優秀防御率、沢村賞と投手タイトルを総なめにした。
妻の脱税で野村監督退任
2001年の最終順位は、またも6位。就任以来、3年連続最下位というあまりに酷い成績だったが、チームの立て直しの時期と腹をくくったフロントは野村監督の続投を決断。シーズン終了後の10月19日、野村監督の続投が発表、首脳陣も公表された。
ところが12月5日、沙知代夫人が脱税容疑で逮捕されてしまった。これを受け、急遽、野村は辞任を表明、大混乱となった。
結局、阪神再建のために三顧の礼で迎えた野村監督だったが、全く結果は残せず。晩年「阪神監督を受けたのは失敗だった」が口癖で、「阪神の監督を引き受けなければよかった」とすら語っている。
京都府網野町
1970/08/12