阪神監督56年史


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51年前の阪神監督です。

かねだまさやす

金田正泰

阪神監督年数

2

1973 - 1974
( 52 - 53 )

「殴られた。グーで」

出身地
京都府京都市
生年月日
1920/7/21 (72歳没)
1992/12/5逝去
身長体重
170cm 68kg
阪神
阪神
1942-1944(3年)
1946-1957(12年)
安打1527安打
打率 .285
本塁打55本
打点568点

*数字はNPB通算成績

戦前から阪神で活躍した走・攻・守の三拍子揃った外野手。秀逸なバットコントロールでヒットを量産した。現在もプロ野球記録として残るシーズン最多三塁打記録(18本)を持ち、ミスター三塁打と呼ばれた。

ブローカーをやっていたこともある。

気が強く、内角攻めを続ける投手にはバットを手にマウンドへ向かっていくことが日常だった。頭部に死球を受けた際に耳から血を流しながらプレイ、翌日にも平気だと強行出場、しかし試合中に倒れた、というエピソードが残っている。

阪神
阪神
1958-1961(4年)
1973-1974(2年)

二度にわたり阪神の監督を務めた。

一度目は1958年から1961年の4年間。(なお、当サイトでは1970年以降を対象としているため、この時代の情報は掲載していない。)

二度目は1973年から2年間。ただ、1972年のシーズン中、選手兼監督だった村山が「選手に専念する」と当時ヘッドコーチだった金田に指揮権を譲渡。このため、前年から実質的な監督となっていた。

監督在任中の1973年。小柄だったためプロの誘いがなかった掛布雅之をドラフトで6位で指名した。(1位は佐野仙好)

監督としては問題が多く、調べれば調べるほど、口が悪い、人望がない、器が小さい、と悪い言葉が溢れかえる。

選手との折り合いも悪く、江夏豊が監督室の前で見張りをし、権藤正利が金田監督を殴打した事件は有名。シーズン中、宿泊先で選手に追いかけられ逃走する監督の姿が幾度も目撃されていたという。

通算2年間

●●

最高順位: 2

最低順位: 4

勝敗

121 123

(16引き分け)

通算勝率

.496

平均順位

3.0

順位回数
1位-
2位1
3位-
4位1
5位-
6位-

成績一覧

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監督(齢) 打率防率
1972 2 村山(35) 71 56 15 .239 125 3.00 45 74 1972
1973 2 金田(52) 64 59 5 .234 115 2.82 41 76 1973
1974 4 金田(53) 57 64 -7 .237 136 3.45 41 88 1974
1975 3 吉田(41) 68 55 13 .252 128 3.34 31 76 1975

1970~

むらやまみのる

村山実

1973~

かねだまさやす

金田正泰

1975~

よしだよしお

吉田義男

1978~

ごとうつぐお

後藤次男

1979~

どん ぶれいざー

ブレイザー

1981~

なかにしふとし

中西太

1982~

あんどうもとお

安藤統男

1985~

よしだよしお

吉田義男

1988~

むらやまみのる

村山実

1990~

なかむらかつひろ

中村勝広

1996~

ふじたたいら

藤田平

1997~

よしだよしお

吉田義男

1999~

のむらかつや

野村克也

2002~

ほしのせんいち

星野仙一

2004~

おかだあきのぶ

岡田彰布

2009~

まゆみあきのぶ

真弓明信

2012~

わだゆたか

和田豊

2016~

かねもととものり

金本知憲

2019~

やのあきひろ

矢野燿大

2023~

おかだあきのぶ

岡田彰布

2025~

ふじかわきゅうじ

藤川球児

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