阪神監督56年史


うちの監督

ホーム > シーズン > 1973年 金田正泰

2金田阪神 1年目

1973

2

64 59 7

もうちょいやった

金田正泰(52)

最終順位

2

64 59 7

*順位は月末のもの

チーム成績

打率 HR 防率 盗塁 失策
.234 115 2.82 41 76
選手名 打率 HR
1 藤田平 (26) .281 17 59
2 野田征稔 (32) .222 3 13
3 池田祥浩 (27) .259 11 52
4 田淵幸一 (27) .256 37 90
5 遠井吾郎 (34) .296 5 42
6 カークランド (39) .242 14 38
7 後藤和昭 (29) .243 9 33
8 佐藤正治 (29) .181 1 7
選手名 防率
9 江夏豊 (25) 2.58 24 13

*数字は1973年シーズンの成績

第2次金田阪神の1年目シーズン。

前年、ヘッドコーチながら1年間指揮を振るった金田正泰が、村山前監督に代わり正式に監督に就任した。

この交代劇を金田が村山を追い出したように感じた選手も多く、火種がくすぶる中でシーズンがスタートした。

そんな1973年シーズンは最終戦まで優勝の行方がもつれ込む歴史的混戦となった。

王、ゲタでやられる
10月22日。勝った方が優勝という甲子園に巨人を迎えての一戦。球場は熱狂的な阪神ファンで覆いつくされた。ところが先発の上田次朗があっさりとつかまり、試合は巨人の一方的な展開となった。結局、0対9と大差をつけられ終了。巨人がV9を達成した。

ここで事件が発生した。ゲームセットの瞬間、あまりの不甲斐なさに暴徒化した阪神ファンがグランドに乱入し巨人ベンチを襲撃したのだ。

胴上げされるはずの巨人・川上哲治監督はベンチ奥の通路へダッシュ。巨人の野手たちは全力で三塁側ベンチへ逃げ込んだ。

この時、ほとんどの選手は難を逃れたが、王貞治だけは逃げ遅れてしまった。

取り囲んだ阪神ファンは強襲。王はゲタで殴打され負傷した。翌日の新聞には「下駄で襲われた三冠王」の文字が踊った。

監督、選手にやられる
大荒れのペナントレースだったが、シーズン終了後、今度は監督が選手に殴られるという前代未聞の事件が起こった。

権藤正利投手が金田監督を殴ったというもの。

「なんや、サルでもたばこ吸うんかい」と言った金田監督に権藤が謝罪を要求。

「そんなこと言うた覚えはないが、仮に言うたとしたらどうなんや」の煽りに激昂しての行動だったという。

この事件で権藤は退団。江夏はドアの前で邪魔が入らないように立ちはだかっていたが、手を出していないということで処分は逃れた。

なお、金田監督と選手との確執は翌シーズンにも大きな問題となった。


関連ページ

金田正泰が監督

  • 1973 2
    64勝 59敗 7分
  • 1974 4
    57勝 64敗 9分

金田正泰のページ


ホーム > シーズン > 1973年 金田正泰