阪神監督56年史


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真弓阪神 3年目

2011

4

68 70 6

びぃクラスや

真弓明信(57)

最終順位

4

68 70 6

*順位は月末のもの

チーム成績

打率 HR 防率 盗塁 失策
.255 80 2.83 62 74
選手名 打率 HR
1 マートン (29) .311 13 60
2 平野恵一 (32) .295 1 29
3 鳥谷敬 (30) .300 5 51
4 新井貴浩 (34) .269 17 93
5 ブラゼル (30) .282 16 69
6 金本知憲 (43) .218 12 31
7 城島健司 (35) .189 5 13
8 俊介 (24) .242 1 9
選手名 防率
9 能見篤史 (32) 2.52 12 9

*数字は2011年シーズンの成績

真弓阪神の3年目シーズン。

低反発のボールで打線崩壊
開幕の2週間前の3月11日。東日本大震災が発生した。このため、開幕が3月25日から4月12日に変更されシーズンがスタートした。

2011年は低反発の統一球が採用され、本塁打が大幅に減少。前年に47本をマークしたチームの本塁打王ブラゼルは、このシーズンは16本と苦しみ、他の打者も軒並み数字を落とした。チーム本塁打は前年の半分以下となる80本と大幅に減少した。

強力打線で打ち勝つ野球ができず、チームは大苦戦。急に守り勝つ野球にシフトなどできるはずもなく、4位とBクラスに転落、シーズンを終えた。

代走に代走
そんな2011シーズンの真弓監督。「代走に代走*」という伝説の采配を振るい、世間を震撼させた。

読んで字のごとくの選手交代で、ただの選手の無駄遣い。甲子園では「こんな選手の使い方するから人が足らんようになるねん!」と去年のプレイを知るファンからヤジが飛んだ。

*代走に代走
「代走に代走」は真弓監督よりも先に、2004年、山下大輔監督(横浜)が行っている。ただ真弓監督は「代走に代走」を行った同シーズンで、代走を出そうとするが野手が足りないことに気づき急きょブルペンから投手を呼び起用する「代走にピッチャー」も炸裂させている。圧勝である。

チーム崩壊のカウントダウン
選手も真弓野球の影響を受けたのか、マートンが守備でアウトカウントを間違うボーンヘッドを犯した。ワンアウトでフライキャッチし、そのボールをご機嫌に一塁側アルプス席に投げ入れてしまったのだ。

「これはいい加減にしとかんチームが壊されるで」と、阪神ファンはホンモノの全力采配におびえ始めた。そのあたりはフロントも察していたようで、真弓監督は契約を1年残し辞任となった。


関連ページ

真弓明信が監督

  • 2009 4
    67勝 73敗 4分
  • 2010 2
    78勝 63敗 3分
  • 2011 4
    68勝 70敗 6分

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