阪神監督56年史


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村山阪神 1年目

1970

2

77 49 4

もうちょいやった

村山実(33)

最終順位

2

77 49 4

*順位は月末のもの

チーム成績

打率 HR 防率 盗塁 失策
.245 110 2.36 54 75
選手名 打率 HR
1 藤井栄治 (30) .242 3 14
2 安藤統夫 (31) .294 10 30
3 藤田平 (23) .275 9 51
4 バレンタイン (35) .246 11 46
5 カークランド (36) .249 15 32
6 田淵幸一 (24) .244 21 40
7 遠井吾郎 (31) .284 10 55
8 後藤和昭 (26) .225 3 9
選手名 防率
9 江夏豊 (22) 2.13 21 17

*数字は1970年シーズンの成績

村山阪神の1年目シーズン。

2位ながら辞任した後藤次男監督の後を受け、村山実が選手兼監督となった。阪神の監督としては歴代最年少となる33歳での就任だった。

前年に発覚した黒い霧事件*でプロ野球界が激震する中、シーズンが開幕。好調なスタートを切った村山阪神だったが、代打の切り札として中日から移籍してきた葛城隆雄が八百長容疑で逮捕。(葛城は出場停止処分後、退団。現役を引退。)

*黒い霧事件
プロ野球関係者が八百長に関与したとされる事件。1969年から1971年にかけて相次いで発覚。多くの選手が永久追放、出場停止処分となった。

6月には開幕投手を務めたエース江夏豊が竹中組組長から百万円相当の腕時計を受け取っていたことが発覚。江夏は13日間の謹慎処分となった。

その後、巨人を猛追するがチームの本塁打王だった田淵幸一が顔面に死球を受けるアクシデントに見舞われた。

当時のヘルメットは耳当てが付いておらず、外木場の投じたストレートがまともに左こめかみを直撃。目と耳から出血した田淵はピクピクと痙攣し、血まみれの状態で病院へ緊急搬送された。

意識不明の状態が4日間続き、全治3ヶ月の重体。一時は命が危ぶまれたが10月に無事退院した。

この出来事からヘルメットの耳当てが義務化された。

ペナントレースは巨人の6連覇を阻止することはできなかったが、主軸選手の大怪我もありながらも2位でシーズンを終えた。

なお、選手兼監督の村山はシーズン防御率0.98の大記録を打ち立てた。


関連ページ

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  • 1969
  • 1971

    村山実

村山実が監督

  • 1970 2
    77勝 49敗 4分
  • 1971 5
    57勝 64敗 9分
  • 1972 2
    71勝 56敗 3分
  • 1988 6
    51勝 77敗 2分
  • 1989 5
    54勝 75敗 1分

村山実のページ

  • むらやまみのる

    村山実

    兵庫県尼崎市

    1970/08/13


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