阪神監督56年史


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中村阪神 4年目

1993

4

63 67 2

びぃクラスや

中村勝広(43)

最終順位

4

63 67 2

*順位は月末のもの

チーム成績

打率 HR 防率 盗塁 失策
.253 86 3.88 44 60
選手名 打率 HR
1 和田豊 (31) .315 0 36
2 久慈照嘉 (24) .244 1 16
3 松永浩美 (33) .294 8 31
4 オマリー (33) .329 23 87
5 パチョレック (32) .243 7 36
6 八木裕 (28) .235 9 47
7 岡田彰布 (36) .170 1 7
8 山田勝彦 (24) .176 0 2
選手名 防率
9 仲田幸司 (29) 6.54 3 12

*数字は1993年シーズンの成績

中村阪神の4年目シーズン。

野田松永の大型トレード敢行
わずか2ゲーム差の2位に終わった前年の雪辱を果たすべく、シーズンオフに大幅な補強を図った。

中でもインパクトが大きかったのはオリックスとの交換トレード。「優勝を逃したのは打力不足」と分析した球団は、先発ローテーションの一角を担っていた6年目のドラ1右腕・野田浩司を放出、オリックスから球界最高のスイッチヒッターと言われていた松永浩美を獲得した。

*阪神オリックスの交換トレード
オリックス→阪神 野田浩司
阪神→オリックス 松永浩美

ただ、この「野田放出、松永獲得」は阪神史上最悪のトレードの一つと言われるほどで、チーム強化には繋がらなかったどころか、むしろマイナスの結果となった。球団、ファンともに大きなダメージを受けた悪夢のようなトレードだった。

野田オリックスで大ブレイク
まず、放出した野田がオリックスでいきなり17勝を挙げ最多勝のタイトルを獲得。大きな変化でボールが消えたように見えることから「お化けフォーク」と名付けられた魔球を操り、

3年連続2桁勝利
3年連続200奪三振
1試合19奪三振

と圧倒的な成績を残し、パリーグを代表する投手に成長した。

阪神ファンは野田の活躍を伝えるニュースを耳にするたび、嬉しい反面、「帰ってきてくれへんかなぁ」と思わずにはいられなかった。

松永は阪神で大きくバッシング
一方、獲得した松永は会見で「中村勝広監督を男にしてみせる」と熱く語り、その打撃に大きな期待が膨らんだ。

しかし開幕から連続安打を重ねたものの、故障により長期離脱。故障続きの自分を「鬼(オニ=02)のように強くしたい」と背番号を「2」から「02」に変更した。しかしその効果はなく、規定打席に到達できずシーズンを終えた。

ここで松永が思わぬ行動に出た。なんと移籍1年目にしてFA権を行使したのだ。

さらに「甲子園は幼稚園の砂場」と発言したという一部報道により、阪神ファンが激怒。ホームスタジアムを侮辱したと松永バッシングが巻き起こった。その大ブーイングは関西中に広がり、うどん屋のおばちゃんですら「あいつは信用ならん思てたわ!」と言い出すほどのレベルだった。

このバッシングによりFA残留の可能性は完全に消滅。松永の福岡ダイエーへの移籍が発表された。

松永の阪神での出場試合数はわずか80試合。違う意味で鬼となった。

出て行ったドラ1右腕は大活躍、代わりに取ったベテランバッターはFAで他球団へ。将来のエース候補を失っただけという何も残らない大失敗のトレードだった。

そんな1993年シーズンは前年の2位からBクラスへ転落。63勝67敗の4位でシーズンを終えた。

なお、このシーズン終盤、新庄が4番に座った。21歳8か月での先発4番出場は球団史上最年少記録だった。


関連ページ

中村勝広が監督

  • 1990 6
    52勝 78敗 0分
  • 1991 6
    48勝 82敗 0分
  • 1992 2
    67勝 63敗 2分
  • 1993 4
    63勝 67敗 2分
  • 1994 4
    62勝 68敗 0分
  • 1995 6
    46勝 84敗 0分

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