阪神監督56年史


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中村阪神 5年目

1994

4

62 68 0

びぃクラスや

中村勝広(44)

最終順位

4

62 68 0

*順位は月末のもの

チーム成績

打率 HR 防率 盗塁 失策
.256 92 3.43 36 67
選手名 打率 HR
1 新庄剛志 (22) .251 17 68
2 和田豊 (32) .318 2 43
3 亀山努 (25) .284 9 28
4 オマリー (34) .314 15 74
5 石嶺和彦 (33) .246 17 77
6 ディアー (33) .151 8 21
7 久慈照嘉 (25) .251 0 14
8 吉田康 (33) .000 0 0
選手名 防率
9 湯舟敏郎 (28) 3.05 5 7

*数字は1994年シーズンの成績

中村阪神の5年目シーズン。

石嶺和彦、ディアーと打線を強化
前年に続き、打線を補強。FAでオリックスから石嶺和彦が入団、メジャー通算220本の大型外国人ロブ・ディアーを獲得した。

ただ、石嶺は広い甲子園の外野守備で古傷の膝が悪化し、全試合出場を果たすが満足な成績を残すことはできなかった。

一方のディアーは春季キャンプで異常な飛距離の柵越えを連発。近隣住民の安全のため、「ディアーネット」なる特注ネットが設置された。待望の長距離砲の名は、連日、関西スポーツ紙の一面に踊った。

この助っ人に対し解説者たちは「間違いなく50本。おそらく60本もある」「甲子園で場外あり得る」と阪神ファンの心をくすぐる絶妙の煽りを連発。これらの言葉を真に受けた阪神ファンはニヤニヤが止まらず。もう、とにかく、連日連夜、ディアーの情報にびっちゃびちゃだった。

ところがいざペナントレースが始まると、全くバットにボールが当たらない、いわゆる「外スラ空振りマシン」と判明。ライトスタンドの全員から笑顔が消えた。

しかも2億7000万円という高額契約金の元を取るためか、ディアーは起用され続け、8月の故障まで4割近い三振率を誇る高額扇風機を毎日、見守るしかなかった。

ハンサム右腕、藪入団
一方、投手陣はこの年、ドラフト1位指名した藪恵市が朝日生命から入団。阪神ではなかなか見ることのない整った顔立ちに「阪神の織田裕二」と話題となった。

会社の野球部に所属しながら営業マンとしても活躍。その甘いマスクを武器に全社でトップの営業成績をあげていたデキる男という情報に、「そんなん野球もできるに決まってるやん」とファンの期待は高まった。

そんな藪は期待どおりの活躍を見せ、新人ながら一軍の先発ローテーションに定着。前半戦で6連勝を記録し、チームトップの9勝をマーク。見事、新人王を獲得した。

新戦力が加わり話題には事欠かなかった1994シーズンだったが、結果は伴わず最終順位は4位に終った。

岡田彰布、泣きながらオリックスへ
このシーズン終了後、出場機会が少なくなっていた岡田彰布は自由契約に。涙ながらに「これからも阪神ファンであり続ける」と語り、オリックスへ移籍した。


関連ページ

中村勝広が監督

  • 1990 6
    52勝 78敗 0分
  • 1991 6
    48勝 82敗 0分
  • 1992 2
    67勝 63敗 2分
  • 1993 4
    63勝 67敗 2分
  • 1994 4
    62勝 68敗 0分
  • 1995 6
    46勝 84敗 0分

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