阪神監督56年史


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中西阪神 1年目

1981

3

67 58 5

ま、しゃあない

中西太(47)

最終順位

3

67 58 5

*順位は月末のもの

チーム成績

打率 HR 防率 盗塁 失策
.272 114 3.32 71 100
選手名 打率 HR
1 デード (29) .219 1 5
2 加藤博一 (30) .222 1 4
3 真弓明信 (28) .273 13 36
4 掛布雅之 (26) .341 23 86
5 岡田彰布 (24) .289 20 76
6 佐野仙好 (30) .296 11 48
7 オルト (30) .307 18 59
8 若菜嘉晴 (28) .281 3 32
選手名 防率
9 小林繁 (28) 3.01 16 10

*数字は1981年シーズンの成績

中西阪神の1年目シーズン。

前シーズン途中に退団したブレイザー監督の後を継いだ中西太が引き続き監督に。

打撃陣はベテランの藤田平が巨人の篠塚和典とのマッチレースを制し首位打者を獲得。キャリアハイとなる.358の数字を残した。また、このシーズンから5年間、四番の座を守り続ける掛布雅之も.341とキャリアハイ。佐野仙好、真弓明信らも好調でチーム打率は.272と高い数字となった。

一方、投手陣は二桁勝利が小林繁と山本和行の二人だけ。ほとんどの投手が負け星先行という惨状。中でも江本孟紀は4勝止まりと大スランプだった。

ベンチがアホやから
そんな自身に対する苛立ちがからか8月に暴走。犬猿の仲だった中西監督とついに衝突した。

交代を告げられマウンドを降りる際、阪神ベンチへグラブを投げつけたのだ。そして「ベンチがアホやから野球ができへん」と伝説の暴言を吐き、中西監督の投手起用を批判した。

江本はこの行き過ぎた発言を反省。会見で「言うたことは事実やし、それに対する責任は取らないかんという気持ちが強かった」とコメントし、あっさりと引退した。暴言からわずか1日という、いさぎよすぎるスピード引退だった。

3位に終った中西監督も「ワシが身を引くことで阪神が強うなるんやったら悔いはない」と退団。後任には安藤統男が抜擢された。


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    67勝 58敗 5分

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  • なかにしふとし

    中西太

    香川県高松市

    1970/08/12


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