6位
57勝 78敗 1分
べったや...
野村克也(64)
6位
57勝 78敗 1分
*順位は月末のもの
打率 | HR | 防率 | 盗塁 | 失策 |
.244 | 114 | 3.90 | 53 | 101 |
順 | 位 | 選手名 | 齢 | 打率 | HR | 点 |
1 | 左 | 坪井智哉 | (26) | .272 | 4 | 32 |
2 | 三 | 和田豊 | (38) | .253 | 1 | 20 |
3 | 右 | タラスコ | (29) | .239 | 19 | 57 |
4 | 中 | 新庄剛志 | (28) | .278 | 28 | 85 |
5 | 一 | 大豊泰昭 | (37) | .241 | 23 | 54 |
6 | 捕 | 矢野燿大 | (32) | .269 | 5 | 26 |
7 | 二 | 今岡誠 | (26) | .212 | 1 | 2 |
8 | 遊 | 田中秀太 | (23) | .251 | 1 | 17 |
順 | 位 | 選手名 | 齢 | 防率 | 勝 | 敗 |
9 | 投 | 星野伸之 | (34) | 4.04 | 5 | 10 |
*数字は2000年シーズンの成績
野村阪神の2年目シーズン。
遅球王子・星野伸之がやってきた
2年連続の最下位に終わった阪神はシーズンオフに戦力を補強。
オリックスからFA宣言した星野伸之を獲得した。野村監督から「セリーグを見ておいた方が絶対人生のためになる」と誘われた星野は感動し即移籍を決意したという。
星野は平均球速120キロながら、その独自の投球フォームと遅すぎる球を操り、パリーグで168勝をマークした技巧派左腕。野村監督の期待は高く、開幕投手に指名した。
打撃陣では巨人から広澤克実、ヤクルトから野村監督の三男・カツノリを獲得した。
また、コーチとして西武時代の同僚でもあった伊原春樹を招き入れ、守備、走塁の作戦面を任せた。
シーズンが開幕すると4月に9連勝とスタートダッシュに成功し首位に浮上した。だがその勢いは続かず、5月に入るとわずか8勝で定位置に。その後も6月、7月と一桁勝利が続き、最下位にピタッと張り付く展開となった。
誤算だったのは先発ローテーションの柱としての活躍が期待された新戦力・星野。21試合に登板し5勝10敗と全く結果を残せなかった。
伊原コーチが野村監督と対立
今シーズンも前年の大豊、メイに続き、人間関係によるトラブルが発生。今回は選手ではなく新コーチの伊原で、監督の采配、言動を受け入れられないと対立した。
後に伊原は「立派な言動と監督自身の行動が一致しない」「勝てば俺のおかげ、負ければ選手とコーチの責任と考えている人」と語った。なお、メイも野村に対し「勝てば俺のおかげ・・・」と同様の言葉を残している。
多くの選手が阪神から消える
球団史上初となる3年連続の最下位に終った阪神。シーズンオフには4番を務めた新庄剛志がニューヨーク・メッツへ移籍。野村監督との関係がうまくいっていなかった大豊泰昭は中日へ移籍。湯舟敏郎は近鉄へトレード。多くの選手がチームを去った。
また、前述の監督と確執があった伊原コーチも退団となった。
強烈な個性を持つ野村監督の下では、赤星憲広、井川慶、新庄剛志など、球界を代表する選手に成長した選手も多かったが、関係をうまく構築できず消えていく選手も多かった。
京都府網野町
1970/08/12