阪神監督56年史


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岡田阪神 2年目

2005

1

87 54 5

ヤッタデー!

岡田彰布(47)

最終順位

1

87 54 5

*順位は月末のもの

チーム成績

打率 HR 防率 盗塁 失策
.274 140 3.24 78 70
選手名 打率 HR
1 赤星憲広 (29) .316 1 38
2 藤本敦士 (28) .249 1 36
3 シーツ (33) .289 19 85
4 金本知憲 (37) .327 40 125
5 今岡誠 (31) .279 29 147
6 スペンサー (32) .243 9 33
7 鳥谷敬 (24) .278 9 52
8 矢野燿大 (37) .271 19 71
選手名 防率
9 井川慶 (26) 3.86 13 9

*数字は2005年シーズンの成績

岡田阪神の2年目シーズン。

JFK誕生
前年に続き、超強力打線は健在。チーム打率は2割7分を超え、1試合の平均得点は4.8点をマークした。

投手陣は最多勝を獲得した下柳剛、最高勝率の安藤優也、4年連続二桁勝利の井川慶と先発陣が安定。ウィリアムス、藤川球児、久保田智之による完全分業制を敷いたリリーフ陣は「JFK」と名づけられ、チームの躍進に大きく貢献した。

密かに活躍「SHE」
「JFK」を影で支えたのが「SHE」と呼ばれた桟原将司(S)、橋本健太郎(H)、江草仁貴(E)の存在。敗戦処理、中継ぎ、ロングリリーフと、ありとあらゆる場面で登板しJFKを浪費させない役割を担った。ウイリアムスは「僕らが活躍できたのはSHEがいたから」と話したほど。

なお、桟原は引退後、北新地で「とり焼き さじ」をオープン。店長として活躍している。

「とり焼き さじ」(食べログ)

むちゃくちゃしたれ
このシーズン、最も劇的だったのは9月7日、伝説となったナゴヤドームでの中日との一戦。

ホームでのクロスプレイに対する判定に岡田監督はベンチを飛び出した。間に入った平田ヘッドコーチが退場になるほど、その抗議は激しいものだった。

判定は覆らず、納得できない岡田監督は選手を引き上げさせ試合をボイコット。そのまま没収試合になるかと思われたが、球団社長の説得により監督が折れ、18分の中断後に試合は再開された。

異様なムードの中、試合は進み、阪神は一打サヨナラ負けの大ピンチを迎えた。

この場面で岡田監督は就任後、初めてマウンドへ。青ざめる久保田に「俺が責任とるから、むちゃくちゃしたれ」と久保田を鼓舞した。

発奮した久保田は連続三振に抑えピンチを脱出した。チームはそこから見事に逆転勝利。試合後、中日の落合博満監督が「監督の差で負けた」とコメントした。

ボイコットを止めた理由
岡田監督が試合をボイコットしようとした際「没収試合になると、放映権や入場料などで3億円以上の損害が出ます。その場合は現場の最高責任者である岡田監督に払ってもらいます」と球団社長に言われ、急いで試合を再開させたという話も。

そんな激戦を制し、選手、監督、コーチの結束が固まった阪神に敵は無く、優勝街道を猛進。9月29日にリーグ優勝を達成した。

歴代最低の日本シリーズ?
20年ぶりの日本一を目指して臨んだ千葉ロッテとの日本シリーズ。そこには悲劇が待っていた。

1戦目 ロ 10-1 阪
2戦目 ロ 10-0 阪
3戦目 阪 1-10 ロ
4戦目 阪 2-3 ロ

3試合連続10失点とボコボコにやられて4連敗。しかも全試合で一度もリードできず、一切盛り上がることなく戦いは終焉した。

プロ野球ファンから歴代最低の日本シリーズと言われ、阪神ファンはやり切れない思いに打ちのめられた。(合計スコア「33-4」は今もなお野球ファンの間でネタにされている。)

この悲劇的ともいえる4連敗にリーグ優勝の歓喜が上書きされてしまい、何ともいえない気分に終った2005年シーズンだった。


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