阪神監督56年史


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真弓阪神 1年目

2009

4

67 73 4

びぃクラスや

真弓明信(55)

最終順位

4

67 73 4

*順位は月末のもの

チーム成績

打率 HR 防率 盗塁 失策
.255 106 3.28 79 86
選手名 打率 HR
1 赤星憲広 (33) .263 0 8
2 関本賢太郎 (31) .271 3 44
3 鳥谷敬 (28) .288 20 75
4 金本知憲 (41) .261 21 91
5 新井貴浩 (32) .260 15 82
6 メンチ (30) .148 0 2
7 狩野恵輔 (27) .262 5 35
8 平野恵一 (30) .270 0 18
選手名 防率
9 安藤優也 (32) 3.90 8 12

*数字は2009年シーズンの成績

真弓阪神の1年目シーズン。

歴史的な大逆転優勝をされた責任を取り、岡田監督が辞任。代わりに真弓明信が新監督に就任した。金本知憲、下柳剛、矢野燿大の「40歳トリオ」が中心というベテラン頼りのチームをいかに変えていくか、真弓監督の舵取りに注目が集まった。

三浦の番長が来ない
前年オフ、横浜ベイスターズの三浦大輔がFA宣言。関西出身で家族が熱狂的な虎党ということから入団が確実視されていた。

ところが予想外の横浜残留。

カーネル戻る
1985年の優勝時、大活躍した外国人・バースに似ているという理由でKFC道頓堀店のカーネルサンダース像が胴上げされ、道頓堀川へ投げ込まれた。このファンによる暴走から阪神は長期低迷に陥り、十数年に渡り、優勝から遠ざかることとなった。俗に言う「カーネルサンダースの呪い」である。

そんなカーネルがこの年、道頓堀川の川底で24年ぶりに発見され、無事生還を果たした。

そこに1985年の優勝メンバー、真弓明信が阪神監督としてへ復帰。

「カーネルも真弓も戻ってきた。もうこれは間違いないやろ」

関西中では何かを確信し始める人が続出した。

真弓監督にライトスタンドが狂乱
そして「間違いない」待望のシーズンが開幕。

ベンチの中心には、あの真弓が座っていた。阪神歴代ナンバーワンとも言われた男前には圧倒的な華があった。現役時代を知るファンは、その姿をまた見れたたけで、もう、びっちゃびちゃになっていた。

ライトスタンドでは危険という理由で禁止になった当時の真弓の応援「真弓ダンス」で新監督を歓迎。前年の屈辱的なシーズンを振り払うかのように

「まっゆみっ、まっゆみっ、ホオムラン」

とファンたちは踊り狂った。真弓ならきっとやってくれる。もう期待以外、何もなかった。

阪神ファン、真顔に
ところがである。シーズンが進むにつれてファンたちはある事実を突きつけられてしまった。真弓監督は非常に微妙な監督だったのだ。

好投の先発を4回で交代。
3番に代打。
チャンスにダブルスチールさせチェンジ。

「少しでもチャンスがあれば仕掛ける」と真弓監督は積極性をアピールしたが、我慢すべきところで無駄に動いている感は否めなかった。また、動くべきところでは動かず、ベンチにちょこんとおとぼけ顔で鎮座する姿が目立った。とにかく全てがチグハグだった。

次第に「あの男前、解説ではそれっぽいことをしゃべってたのに全然あかんやん」と落胆の声が上がり始めた。

そんな真弓采配はこの後もどんどんパワーアップしていき、日夜、甲子園を騒然とさせた。いまだに語られることのある、それらの采配については各シーズンで紹介したいと思う。

真弓阪神1年目。結果は4位。世代交代は進まず、真弓阪神の目指す方向性は分からぬまま。暗雲立ち込める状況にファンは頭を抱えたが、なぜか監督だけは爽やかに笑っていた。


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真弓明信が監督

  • 2009 4
    67勝 73敗 4分
  • 2010 2
    78勝 63敗 3分
  • 2011 4
    68勝 70敗 6分

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