阪神監督56年史


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星野阪神 2年目

2003

1

87 51 2

ヤッタデー!

星野仙一(56)

最終順位

1

87 51 2

*順位は月末のもの

チーム成績

打率 HR 防率 盗塁 失策
.287 141 3.53 115 65
選手名 打率 HR
1 今岡誠 (29) .340 12 72
2 赤星憲広 (27) .312 1 35
3 金本知憲 (35) .289 19 77
4 濱中治 (25) .273 11 48
5 桧山進次郎 (34) .278 16 63
6 アリアス (31) .265 38 107
7 矢野燿大 (35) .328 14 79
8 藤本敦士 (26) .301 0 36
選手名 防率
9 井川慶 (24) 2.80 20 5

*数字は2003年シーズンの成績

星野阪神の2年目シーズン。

熱すぎた2002年ストーブリーグ
前年のシーズン終了後、

松井秀喜(巨人)
中村紀洋(近鉄)
金本知憲(広島)

がFA宣言。球界を代表する打者3人に加え、超優良助っ人ペタジーニが年俸交渉で決裂しヤクルトを退団。これら4人の打者を巡り、2002年のシーズンオフはプロ野球史上、類を見ない激しい獲得合戦が繰り広げられた。

どうせ全員巨人行きよるわ
交渉が解禁されると、まず松井のヤンキース移籍が発表された。これは規定路線で、残るペタジーニ、中村紀、金本、3人の争奪戦がスタートした。

阪神ファンは「どうせ全員巨人行きよるわ」とこれまでのFA戦線で、落合博満、清原和博、江藤智らを乱獲した球団への恨み節を口にするのが精一杯。「お願いやから全員パリーグ行ってな」と同リーグの球団が強化されないことを願うばかりで、獲得を諦めていた阪神ファンがほとんどだった。

星野監督、オーナーを口説き落とす
その時だった。星野監督がオーナーに直訴したというニュースが飛び込んできた。

「オーナー、阪神を再建するには選手がいります。優勝するにはペタジーニ、中村紀、金本の3人が必要です。全員、取りましょう

これには廃屋の窓ガラスのように曇りまくっていた阪神ファンのメガネがキラリと光り輝いた。

梅田でランチ中のOLさんもざわついた。

まずはペタジーニ獲得に動いた阪神。しかし、巨人との争奪戦に破れ、断念。

嫌な空気が流れる中、次はどっぷりと空いた阪神のサードを守ることができる大砲、中村紀。一人で無名の公立高校を甲子園に連れていった大阪出身のスラッガーだ。関西が地元、近鉄での実績、その強烈なキャラは阪神に合うと誰もが大歓迎した。

ただFA宣言してからの言動や振る舞いが問題視され、ネットが普及し始めた背景もあり、バッシングが拡大。

「中村紀洋というブランドを近鉄で終わらせていいのか」というパンチの効いた発言も大きく取り上げられ、そのブランド自体が次第に微妙な空気に。無精ヒゲの金髪異端児はいつの間にか触ってはいけない微妙な選手に変わっていった。

その後の中村はニューヨークメッツへ移籍が発表されたが、発表のタイミングが早いとゴネて破談。結局は近鉄と再契約、本の鞘に戻った。日本だけでなく海外を巻き込んだ身勝手な行動には多くの人が愛想を着かした。

星野、金本を秒殺
そして金本。最後の1人。絶対に逃すわけにはいかない星野監督は険しい表情で交渉の場に向かった。

ところが難航が予想されたが交渉は一瞬で決着。

「断れば殺されると思った」と金本が口にしたほど、星野のアプローチは情熱的なもので、その熱に押された金本は即座にハンコをついたという。

24人を入れ替え、別のチームに生まれ変わった阪神。1985年以来18年ぶりとなるリーグ優勝を決め、長らく続いた暗黒時代に終止符を打った。


関連ページ

星野仙一が監督

  • 2002 4
    66勝 70敗 4分
  • 2003 1
    87勝 51敗 2分

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