阪神監督56年史


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吉田阪神 3年目

1977

4

55 63 12

びぃクラスや

吉田義男(43)

最終順位

4

55 63 12

*順位は月末のもの

チーム成績

打率 HR 防率 盗塁 失策
.267 184 4.38 67 74
選手名 打率 HR
1 中村勝広 (28) .242 12 27
2 藤田平 (30) .300 11 43
3 ラインバック (27) .325 14 62
4 田淵幸一 (31) .261 23 59
5 ブリーデン (32) .236 37 90
6 掛布雅之 (22) .331 23 69
7 池辺巌 (33) .274 13 46
8 佐野仙好 (26) .305 8 21
選手名 防率
9 江本孟紀 (30) 3.70 11 14

*数字は1977年シーズンの成績

吉田阪神の3年目シーズン。

前年に続き、超強力打線は健在で、昨年の2位を上回る成績が期待された。

ところが開幕から故障者が続出。掛布雅之が死球で離脱したのに続き、佐野仙好が外野フェンスに激突するという大アクシデントが発生した。

当時はフェンス付近はコンクリートがむき出しの状態。そこに頭を打ちつけた佐野はキャッチしたまま全く動かなくなってしまった。

球場内が騒然とする中、グランドに救急車が到着。すぐに川崎市内の病院に搬送された。意識が戻ったのは真夜中で、診断は頭蓋骨骨折。全治一ヶ月の重症となった。

なお、この事件から全本拠地球場にラバークッションを貼ることが義務化された。

後日、「もし担架で運ばれていたらダメだった」と医師のコメントが発表された。合わせて、選手のケア、危機管理を担う猿木忠男トレーナー*の冷静な対応が佐野を救ったことも報じられた。

*猿木忠男トレーナー
阪神一筋40年の名物トレーナー。日本にアイシング療法を持ち込んだ人物として知られている。江夏のクセを見抜いたことでも有名。サングラスがトレードマーク。

そんな大きなアクシデントがあった1977年シーズン。前年に迫るチーム本塁打数を記録したが、終盤に球団ワーストタイとなる9連敗を喫したことが響き、4位に終わった。

シーズン終了後、Bクラス転落の責任を取り吉田監督は辞任した。


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吉田義男が監督

  • 1975 3
    68勝 55敗 7分
  • 1976 2
    72勝 45敗 13分
  • 1977 4
    55勝 63敗 12分
  • 1985 1
    74勝 49敗 7分
  • 1986 3
    60勝 60敗 10分
  • 1987 6
    41勝 83敗 6分
  • 1997 5
    62勝 73敗 1分
  • 1998 6
    52勝 83敗 0分

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