阪神監督56年史


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3吉田阪神 1年目

1997

5

62 73 1

やばい...

吉田義男(63)

最終順位

5

62 73 1

*順位は月末のもの

チーム成績

打率 HR 防率 盗塁 失策
.244 103 3.70 38 88
選手名 打率 HR
1 和田豊 (35) .300 2 26
2 久慈照嘉 (28) .257 3 20
3 新庄剛志 (25) .232 20 68
4 桧山進次郎 (28) .227 23 82
5 八木裕 (32) .275 4 30
6 平塚克洋 (31) .293 17 68
7 ハイアット (27) .204 11 30
8 山田勝彦 (28) .262 4 21
選手名 防率
9 川尻哲郎 (28) 3.92 5 14

*数字は1997年シーズンの成績

第3次吉田阪神の1年目シーズン。

1985年に阪神を球団初となる日本一に導いた手腕に大きな期待が集まった。

復帰した吉田監督は得意の「打ち勝つ野球」を目指し、貧打に苦しむ打線の強化に取り組んだ。

清原和博に36億円
まずはFA宣言した清原和博の獲得に奔走。「タテ縞のユニフォームをヨコ縞にしても」と球団をあげて交渉に挑んだ。たが残念ながらその思いは通じず。清原は巨人へ入団した。(後に清原は阪神が提示した内容は10年契約の36億円だったことを明らかにしている。)

グリーンウェルに3.6億円
清原を断念した阪神は、彼のために用意した補強費を使い、大物外国人マイク・グリーンウェルを獲得した。レッドソックスで12年にわたりプレイし「ミスターレッドソックス」と呼ばれたバリバリのメジャーリーガーで、その契約金は1年契約の3億6000万円と破格なものだった。

グリーンウエルはメジャー通算打率.303、1400安打、130本塁打とこれまでの助っ人とはレベルが違う超大物助っ人だった。

この本物臭が漂いまくりのメジャーリーガー獲得に阪神ファンは大興奮。

「バース2世」

ではなく

「バース以上」

とそのプレイを見る前から盛り上がり、彼の来日を震えて待った。

ドラフトでも打線強化のため打者の指名が相次ぎ、東洋大学からドラフト1位で今岡誠が入団した。PL学園で甲子園に出場した地元出身の強打者。2位は関本健太郎、3位は濱中治と上位は全て打者となった。

グリーンウエル帰国、来日、引退
そんな吉田阪神を悲劇が襲った。春季キャンプ中に期待のグリーンウエルが突然帰国してしまったのだ。

これには「グリーンウエル帰ってもうたで」と球団もファンも騒然。何が起こっているのか分からぬまま、シーズンが開幕となった。

開幕から構想が狂いパニック状態の吉田阪神。だが何とか4月を借金ゼロで乗り切った。そこに、やっとグリーンウエルが来日。広島との3連戦で12打数5安打5打点という鮮烈すぎるデビューを果たし、「やはり現役メジャーリーガーは伊達じゃない」と誰もが震えた。

しかしその後、自打球により負傷。

そして、ケガは「神のおつげ」だとコメントし引退。

出場はわずか7試合。3億円を荒稼ぎし帰国した。

このグリーンウエルによる騒動は嵐のようなものだったため、球団の懐が痛んだものの、チームにとって大きな痛手とはならなかった。ただ、シーズンを通して「打ち勝つ野球」とはかけ離れたスケールの小さい野球が展開し、「バース掛布岡田」で沸いたあの頃の吉田野球を期待したファンには全く物足りないシーズンだった。

Aクラス復帰はならなかったものの、3年ぶりに最下位脱出に成功。5位でシーズンを終えた。


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吉田義男が監督

  • 1975 3
    68勝 55敗 7分
  • 1976 2
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  • 1977 4
    55勝 63敗 12分
  • 1985 1
    74勝 49敗 7分
  • 1986 3
    60勝 60敗 10分
  • 1987 6
    41勝 83敗 6分
  • 1997 5
    62勝 73敗 1分
  • 1998 6
    52勝 83敗 0分

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