阪神監督56年史


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3吉田阪神 2年目

1998

6

52 83 0

べったや...

吉田義男(64)

最終順位

6

52 83 0

*順位は月末のもの

チーム成績

打率 HR 防率 盗塁 失策
.242 86 3.95 28 89
選手名 打率 HR
1 和田豊 (36) .272 4 32
2 桧山進次郎 (29) .226 15 52
3 ハンセン (29) .253 11 55
4 パウエル (33) .255 9 28
5 大豊泰昭 (35) .231 21 61
6 新庄剛志 (26) .222 6 27
7 山田勝彦 (29) .203 0 6
8 星野修 (28) .180 0 2
選手名 防率
9 藪恵壹 (30) 3.51 11 10

*数字は1998年シーズンの成績

第3次吉田阪神の2年目シーズン。

矢野輝弘がトレードで阪神へ
打線強化の方向性は変わらず、今季も新たな戦力を補強した。

中日との交換トレードで関川浩一、久慈照嘉を放出。代わりに9年間で208本の本塁打を放ちホームラン王も獲得経験を持つスラッガー・大豊泰昭を獲得した。また、弱点の捕手を補強するために矢野輝弘を獲得した。

*阪神中日の交換トレード
阪神→中日 関川浩一、久慈照嘉
中日→阪神 大豊泰昭、矢野輝弘

さらに中日を退団した3年連続首位打者の実績を持つアロンゾ・パウエルを獲得。打撃陣が大幅に強化された。

シーズンに入ると坪井、今岡のPL先輩後輩コンビ(坪井が1年先輩)が頭角を現し、次第にスタメン1、2番を担うようになった。そこに大豊、桧山、新庄が連なる打線が完成した。

脇役ばっかりと言葉を残し監督退団
ただ、各打者の成績は振るわず。3割は坪井のみ、ホームランは大豊の21本が最高。チーム打率、ホームラン、打点、盗塁と攻撃面の成績は全てセリーグ6球団で最低に終った。

投手陣は川尻哲郎がノーヒットノーランを達成するなど10勝5敗と活躍。ただ、中込伸(8勝13敗)、ダレル・メイ(4勝9敗)と他の投手は結果を残せず、チーム防御率は前年より悪化した。

打てず、守れずのチーム状況は深刻で阪神だけが別次元の野球をしているようだった。

首位横浜とは27ゲーム差。最下位でシーズンを終えた吉田監督は責任を取って辞任。「脇役ばっかりで戦っているようなもんでした」と言葉を残し甲子園を後にした。


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吉田義男が監督

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  • 1976 2
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  • 1977 4
    55勝 63敗 12分
  • 1985 1
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  • 1986 3
    60勝 60敗 10分
  • 1987 6
    41勝 83敗 6分
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    62勝 73敗 1分
  • 1998 6
    52勝 83敗 0分

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